1999年6月24日、パリからキューバに旅立つ。
ヨーロッパの人々にとって、キューバを含むカリブ海諸国は、憧れのバカンスの地。実にパッケージ・ツアーが多いのだ。オルリー空港から約8時間の空の旅はクバーナ航空で。機内のほとんどがフランス人観光グループと、キューバ人。どうみてもアジア人種は見当たらない..明らかに日本人は私一人だけだ。
空港の待合所も、飛行機までのバスの中も、少しはフランス語が聞こえてくるけれど、ほとんどがスペイン語だぁー、迫力満点!!圧倒される!!(フランス人も多いけれど、フランス語って、ささやくように上品で、まろやかに耳に響くが、スペイン語って、凄い勢いでまくしたてるようだし、ボリュームもかなり大きいので、よけい目立って聞こえたのかもしれない)。
体も大きいし、女の人も色っぽいし、コトバの響きも、カオやカラダの作りも迫力あるんだよねー。オ・ト・ナ〜って感じ。それにひきかえ私は、小柄で顔も平面で凹凸ないし、こどもだわ。あー怖っ。
でも英語は聞こえてこないので余計に異国情緒たっぷりで、一人旅を実感。(けっこう楽しんでいる)。機内までやたら待たされてバスの中に30分以上。やっと発車した時、キューバ人達は拍手喝采、歓声を上げて盛り上がって喜んでいる。まだ飛行機に乗ってもないのに、、、(単純だなー、でもすっかり車内もカリブの陽気さいっぱいで楽しいなぁ)。
これからカリブ海で一番大きな島国キューバに行くのだ。
もうー、胸ワクワク、感慨ひとしおで顔がニタニタしてきちゃう。機内では3人座席で日本人の私の隣はスペイン語圏の白人女性、その隣はフランス人男性。飲み物を注文するとき、奥のフランス人男性から「ヴァン・ゴ(ル)ージュ」。キューバ人のスチュワーデスさんには聞き取りにくかったらしく、彼は2、3度「ヴァン・ゴ(ル)ージュゥッ!と言っていた)、続いてキューバ人女性、「セルべッサ!」(スペイン語でビールのことだった)。 私の番で「ヴィーノ・ティント!」とはっきりとしたカタカナ語(笑)で赤ワインを注文。キューバ人のスチュワーデスさんは一発で解ってくれて、ニッコリと「スィ,マドモワゼル」とワインをくれた。きっと子供に思われたんだ。(ちょっとショック・・・)
キューバ人達は機内でも賑やかによく喋る、動き回ってる、私の隣の女性は人気者なのだろうか、後部座席から入れ替わり立ち替わり人が喋りに来る。私達の席はとにかく3人とも言葉が違うので会話ははずまないが、それでもその女性とは少しの英語でお話ししてみる。彼女はクバーナだった(キューバ人)。そしてサルサのダンサーで、パリでの音楽フェステバルでキューバから大勢の仲間と来ていたのだった。だから後にいるキューバ人の男女達はミュージシャンやダンサーだった。彼女は他のメンバーと違って白人だったし、どうも華があるなと思ったら、中央で踊るメインダンサーってわけだった。とても美しく優しく明るい人。
この飛行機はキューバの首都ハバナの前にサンチアゴ・デ・クーバという街を経由する便だ。実はわたしもそこで降りる。彼女はそのサンチアゴの出身だそうだ。そう、この街はキューバでも音楽で有名な郷。私のキューバの旅のメインは葉巻だが、「キューバ音楽」も堪能するべくサンチアゴに一泊滞在するのだ。(「ソン」の発祥の地)
カリブ海の真珠
機内スクリーンではバレエ映像が。やはりキューバらしいなー、と思っているとそろそろキューバに近づいてきて、美しいエメラルドグリーンの海が見え出してきた。これに感動しているのはやはり観光のフランス人達、ざわめきが広がる。そして私も実に感動を覚えた。
美しい海、白い砂浜の島、「あー、カリブだぁー、いよいよ私、ホントにキューバに来ちゃったんだわぁー、」これを読んでいる皆様にとってなんてことないかもしれませんが、沖縄にもハワイにも行ったことない私にとって、いきなりカリブっていうのも凄いことなんです、私の中では!! 日本の裏側だよー、来ちゃったよー、ここはカリブだよー!!!(正確にいうと、パリから来てますからまだカリブ海ではないんですが、まあ・・ね!) 何回も言っちゃうけど、日本語も英語も聞こえない機内、たったひとりの旅を実感!最高〜!!(私を一人で出してくれた旦那様に感謝、ありがとう。うん、見せてあげたいなぁー)
(※その後の経験からいくと、メキシコ経由やフロリダ上空を通って行くより、大西洋から入った方がエメラルドグリーンの海が一番奇麗に見えました)
飛行機が着陸するとまたまた機内は拍手喝采、歓声が上がる。そして降りるとき、隣の彼女は「Buena
Suerte! ブエナ・スエルテ」(元気で!) 「Hasta luego アスタ・ルエゴ」(じゃあ、またね)と笑顔で言ってくれた。私も「Hasta
luego アスタ・ルエゴ」と真似をして言ってみた。「キューバに来たなら少しスペイン語を覚えていって」と言っていた彼女は笑って別れてくれた。
サンチアゴ・デ・クーバ
サンチアゴ・デ・クーバは小さな空港。キューバの中でも南に位置し、一番暑いところだ。昔の首都だったわけだが、今は田舎、キューバの他のところと少し違い、やはり一種独特の趣がある街、だそうだ。私の通訳兼ガイドは来ているだろうか、現地キューバ人ガイドをお願いしてあるのだが、、、入国審査も狭い場所で行列で待っている間、隣の列にさっきの彼女とその仲間達がいた。その中のごつい大男が私の肩を叩くので、何かと思ったらその向こうのガラス越しに「日本人」とスペイン語で記した紙を向けた人が呼んでいるらしい。あー、ガイドだー。これまた体の大きなごつい男性。うーん、40歳くらいの黒人だ。スリムで若い男性か、もしくは女性ガイドかと想像していたのだが、、、うーん、やぼったそうだが、だいじょうぶかしら?
それにしても私のバッグがなかなかでてこない。だんだん空港から人がいなくなっていく中、心細くなっていると、またさっきの彼女が心配して声をかけてくれた。そして係の人に頼んでくれているらしい。彼女達は楽器やら何やらで、とにかく荷物が多いらしく、ずーっといたのだ。でもやっと私のバッグが出てきたので、彼女に「Muchas Gracias どうもありがとう」、「Hasta
luego アスタ・ルエゴ」と言って最後のお別れをした。彼女とまた会えるといいな、きっと会えるかもしれない。一人の不安を解消してくれるすてきなダンサーに出会えた。彼女の今後の活躍を祈りたい。
ホッとしたのも束の間、今度は荷物検査にひっかかってしまった。もうー!たぶん(当時)日本人が珍しいからだろうか。しかもパリからの便だし。ひとつひとつ、中味をチェックされる。私には初めてで、おもしろい経験になるからいいやー、とあまり気にしないでいたけれど、すでに予定時刻から1時間も送れて到着している上に、バッグがなかなか出てこないので、トータル2時間は遅れていることになる。すぐ向こうで待っているガイドは、もうプンプンきているらしく、空港の役職の人に文句を言っている様子。
やっとガイドのところまでたどりつけた。彼はとても丁寧な日本語を上手に話す。 そして南国らしいお出迎えがあるのかと思ったら、丁寧にお辞儀なんかしたりして、あれま、最近の若者より日本人らしいわ。しかし、いろいろ話している間はなかった。とにかくスケジュールが2時間もずれこんだので、急ぎましょう!早く車に乗って!と、まくしたてるようにガイドは慌てていた。「すみません,,,私、疲れててー、、、」と言いたかったがその間もなかった。
つづく...
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